壮大なる宇宙のスケール「自分への旅」

銀河系の中心に、巨大ブラックホール

 現代の物理学では、私たちの住む銀河系の中心には、大質量でコンパクトな天体、つまり巨大ブラックホールがあると考えられているそうです。その質量は太陽の約400万倍で、直径は10光年ほどだそうです。他のほとんど全ての銀河も、中心にブラックホールを持つと考えられています。極小の世界(素粒子の世界)も、極大の世界(銀河やそのさらに外側の世界)も、まだまだ謎に包まれていますが、一般的な科学以外にも、参考対象は無数にあります。興味深いのは、宇宙は多次元である(つまりこの三次元だけではないということ)とふまえたとき、太陽は太陽系における別次元からのエネルギーゲートであると考えられる点です。これは、デーヴィッドアイクを代表とする様々な研究家や、古代文書に記述されています。つまり、太陽は別の次元からのエネルギーを、この3次元世界のそれへと変換し、太陽系の各惑星等に絶えず照射しているということです。この事は、太陽系の中で自ら光を発したり、大規模な核融合反応を起こしているのが太陽だけであることや、特に地球の生命は太陽の光や熱のおかげで生きることができているということ、そして太陽がなければ惑星の生成自体が有り得なかった事等を考察するとうなずけます。
 では、太陽系の次に大きな構造と言えば、銀河系ですが、その中心に巨大ブラックホールがあるということは、銀河規模における何らかのエネルギーゲート、または私たちがまだ想像もできないような働きをする存在が、ブラックホールであるのかもしれません。

宗教・スピリチュアリズムと科学の統合

 さて、それではこれから本格的に物事を検証して行く前に、先人たちが築いてきた、現代世界に存在する思考体系を視野に入れておきましょう。
人間は古代から、自分たちは何者で、命とは何か、宇宙とは何かという、人間が常に抱き続けている疑問の答えを探し求め続けてきました。いわゆる学問と呼ばれる、今世界に存在する思考体系は、全てこの探求の結果体系的に構築されてきたものです。古代から、他の人より少し物事を深く考察するのが好きだった人がまず哲学者と呼ばれ、各疑問の答えを、唯一参考材料とできる自然界に求めました。また一部の者は、人間の行動を分析しました。こうして、哲学的な要素を含みながら、科学は人間が自らを知るために生まれていったのです。最初は、各人が自由に巡らせていた考察が、やがて統合されてゆき、さらにその先へ進むため、体系化されていきます。こうして、現代の膨大な学問体系が生まれました。無論、現代の学問が全て的を得ている訳ではありませんが、人間が歩んできた曲がりくねった道であると言うことができるでしょう。
一方、上述の内容は一般的に認識されている人間の軌跡ですが、では古代に哲学者と呼ばれた人々や、現代の科学者でも、何のインスピレーションもなく物事を考え始めたのでしょうか?それは違います。全ての哲学者や科学者は、アイディア=ひらめき を起爆剤として、様々な事象の解明に挑んでゆきました。これは、「直感」と呼ばれるものです。特に古代の哲学者や科学者は、現代の哲学者や科学者よりも、直感を尊重していたと言えるでしょう。直感がなければ、いかなる「探求」も起こりえなかったと言えます。そしてこの直感を大変尊重している傾向が、現代のスピリチュアリズムであると言えるでしょう。しかし、スピリチュアリズムは、客観的に観察するという点において、科学に少し劣ります。しかし、直感がなければ、科学は存在し得ないので、スピリチュアリズムと科学は、二つで一つであるべきたと言えるでしょう。人間は少し、偏りやすいという傾向があるようで、現代の科学者は直感をおろそかにし、理論一辺倒で考察するため、しばしば正確な宇宙像とは違う概念を構築してしまうようです。一方でスピリチュアリズムは、直感を第一とし、真にその道に在る人はとても機能的な働きをすることができますが、一方で客観性や、実質性という土台をおろそかにする傾向もあるので、中途半端な人たちは直感とは少し違う感覚に縛られてしまうようです。また、直感だけでは、やはり世界が動くのは難しいので、科学が得意とする分析という要素も必要だと言えるでしょう。つまり、科学の客観的な分析という傾向と、スピリチュアリズムの直感という要素が、一つになる必要があるのです。そしてその順番は、直感が始めにあり、次に分析があるべきです。もっとも、これは当たり前な話で、人間はこれまでもこの法則の下で営んできました。しかし、偏りやすいのも人間で、このバランスを崩すこともしばしばあります。特に、現代の科学は大きく偏っている一面があるので、直感という要素を取り戻したいものです。

つまり私たちは「人体」ではない


 つまるところ、「私(たち)」は、「人体」或は「脳」ではないのです。私たちは「意識」そのものであり、であるが故に物事を知覚します。そして私(たち)は、死んでも消えることはありません。ただ、人体との接続がなくなるだけです。この概念、特に「意識」に関しては、一般科学では全く考察され得てないので、把握するのが非常に難しいようです。しかし、把握するもなにも、今この字を読んでいることを自覚している、それがあなたであり、他のどこにもあなたを求める必要はないのです。

生命は波動であるという概念2

 では次に、私たち生物に目を向けてみましょう。
この項目は非常に複雑かつ多岐に渡るので、現代の公的な科学で概略を得るのは難しいですが、いくつか主要な点を見てみましょう。
まず、私たちの肉体も、他の物質と同じ様に波動から成り立っており、一定の密度を保っているので、私たちはその一部を可視光を通して見、人体という物体を認識しています。そして人体は、様々な臓器や筋肉、骨、そして血やリンパ系によって営まれており、脳神経系による制御をうけています。これらの反応は全て化学反応であり、そして化学反応を引き起こすのは全て電気反応です。例えば私たちは物に触れると「触った」という感触を得ますが、これは皮膚にある、物を触る感覚を司る細胞内で電位が逆転することによって得られ、それが神経細胞を通って電気信号として伝わり、神経伝達物質を放出します。
 ところで電気反応というのは波動の域であると言うことができますが、公的な科学で認識されている人体のメカニズムはこの電気反応までだと言えるでしょう。しかし実際は、さらに繊細であり精密な周波帯の波動反応が無限に存在し、実はこれらが人体を包括的に支えているのです。これらは、俗に「気」や「チャクラシステム」、またはメンタル体、アストラル体等々、様々な名称で呼ばれていますが、それぞれ指す内容が似ているものもあれば、違うものもあり、古代より構築されてきた東洋医学と総称される医学体系の中で、一つのシステムとして説明されています。つまり、別の次元と繋がっている、電気反応よりさらに細かな反応(=波動帯)のそれぞれの働きや仕組み、種類等を説明した理論が、古代から様々な地域に存在するのです。そしてこうした理論では、人体に不調が生じる順序としては、まずこういった目に見えない波動帯域で不調和が生じ、それが解決されなければ、しだいに密度の濃い可視人体へと浸って行き、最終的に公的科学が認識している病気や諸症状として現れると言うのです。つまり、実は私たちが全てだと思っている電気反応までの人体システムは、むしろそれよりさらに細かな波動帯に左右されていると言って良いでしょう。

生命体は波動であるという概念

 それでは、生命体は 意識=波動 であるとは、どういう事なのでしょうか。
 まず始めに、物質に目を向けてみますと、今日の物理学では物質は原子から成っていることが明らかとなっています。そして原子はさらに原子核と電子に分割され、原子核はさらに陽子と中性子、そして最終的にアップクォークとダウンクォークに分割されます。
電子及びこれらのクォークは、現在のところ物質を構成する最小単位、つまり宇宙で最も小さな粒であると考えられています。では、この電子やクォークはどういう存在なのかというと、実はこれらは粒でもありながら波動でもあるということが分かっています。つまり、物質を構成する最小単位の粒として存在することもあれば、目に見えない波動として存在することもあると言うのです。ここまでが今日の公的な科学で明らかとなっている点です。